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執筆者の写真Yoshie Sugai

気「洗心」

日本では2月3日は「節分」の日で、「1年間健康に過ごせるように」という願いを込めて「悪いもの」を追い出す行事です。京都の多くの神社仏閣で節分の行事が行われました。昔は災害や悪いことは全て鬼の仕業だと考えられていたため、鬼を退治する効果があるとされる豆を投げる風習が広まりました。節分の鬼は、煩悩を表します。つまり煩悩を追い払うことで邪気を追い払うのです。


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また仏教の教えで「洗心」という言葉があり、この意味は字の如く「心を洗う」です。偏見や固定観念からくる「とらわれ」を洗い流すことです。

 

私達は信じたいものを信じる傾向があります。それが事実ではなくてもです。そして事実は時に厳しく辛いものでもあります。そこで自分の先入観や意見を肯定するため、それを支持する情報のみ集め、反証する情報は無視または排除する確証バイアスという心理作用が働くのです。

 

武道においても、技はこうでなくてはいけない、こうやらなければならないという固定観念に「とらわれ」がちです。特に長く同じやり方をやってきた人に多く見受けられます。私も色々な方に指導させていただきながら、同じ技でも百人百通りの技の掛け方があるのだと痛感しています。筋力のない方、身体の硬い方、身体の部位が上手く動かせない方等々、その方の身になったつもりで、技の掛け方を変えなければなりません。例えば、子供のための技を考える時、実際に小さくなって子供くらいの弱い力でかけて見ると、大人と同じ技のかけ方では大人は全く倒れないどころか、逆に子供を危険に晒してしまう事もあるので、色々な工夫が必要です。

 

杵淵先生はいつも私に「技は進歩しなければならない」とおっしゃっていました。望月稔先生もそうおっしゃっていたそうです。自分の「とらわれ」を認識し、それを洗い流し、常に新しい心で現実と向き合わなければ、技の進歩は難しいのではないでしょうか。

 

「心を洗う」この清々しい考えを常に念頭に置きながら、今年も豆まきをして、自分の煩悩と向き合いました。今月の宿題は、「自分の煩悩とちゃんと向き合い、洗心する」です。

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