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最近、「他人の為に何かするという事」について考えさせられる機会が何度かありました。
ある方は「どこが(何が)ターニングポイントで、他人の為に何かしてあげたいと思うのか。自分に何かしらの利益があるからこそ、相手に何かをしてあげられるんじゃないか」という意見を言いました。
私はその意見を聞いて、本当に驚きました。
そのような考えを持った事がなかったからです。他の方は私に「須貝さんは年齢を重ねてきて、色々な経験をしているから、人の為に何かをしてあげたいと思うんだよ」と言いました。「そうなのかなあ〜」とその時は思いましたが、子供の頃や10代の頃を思い出してみて、年齢や経験でない事がわかりました。そういえば小学生低学年の時に、いつも公園で一人でいるおじいさんに話しかけ、「私の家に行くとおばあちゃんがお茶を出してくれるよ」と言って、おじいさんを一緒に家に連れて行って、祖母にびっくりされたのを思い出しました。
そこで私が稽古の時にこう話しました。「私達の生活は多くの方々のおかげで成り立っている事に気づかなければなりません。頭でわかっていても実際には、それらの事をまるで空気かのように感じているのです。今こうして楽しく稽古していられるのは、道場を貸してくれるオーナーさんがいて、それを建てた建築会社で働く人や、資材を作る方々もいて、電気も水も何もしないで得ているわけではなく、普段歩いている道路も誰かが整備しているし、今ある健康も自分の努力だけはなく、その健康を支えてくれている食料品や調味料なども誰かが作っている。
私たちはそういう細やかな事に気づくという事を武道の技から学んでいる。だから今の自分の幸せは皆さんのおかげであるという事を改めて認識&感謝し、元気なうちに是非誰かサポートを必要としてる人の為に何かをしてあげてください。」でした。
勿論、自分が寝込んでいて全く動けなかったり、戦争や貧困という厳しい環境下に置かれた方には難しいかもしれません。それでも、全く体が動けなくてもアバターによりお店で接客ができるという新しいビジネスの取り組みにより、その方々は「社会に役たっていると感じられて幸せ」とテレビで言っていました。戦争や貧困という厳しい環境下に置かれていても、他人を思いやり手助けする方もいます。
一番最初に意見を言われた方への私の返答は「それは自己満足度によるのではないでしょうか」です。自分の心が満たされていると、他人にも手を差し伸べてあげられるのではないかと私は思います。
道場理念の一つの「精力善用自他共栄」ように、自分だけの成長を望むのではなく、相手と共に成長、繁栄していく。相手と共に繁栄すれば社会もより繁栄していく。武道を学ぶ方達もそうでない方も、皆さんがそのような考えに気づいてくれたら嬉しいです。
特に武道の指導者は、自分が幸せになる事で他が幸せになるというような考えではなく、皆が幸せになるように導いていくことが自分の幸せとなるように精力善用するという考えを持っていただきたいと願います。
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