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先日、オーストラリアの道場の皆様が私の道場に稽古にいらした際に、「平常心」についてお話をしました。
その時は「どのような状況でも揺るぎない精神状態を保つ」という事を武道の技から学んでいると簡単に説明しました。
「平常心是道」という書をお見せしながらお話ししたのですが、これを禅語では「びょうどうしんこれどう」と読みます。これについてあるお寺の住職が書かれた説明を読みました。禅語での「平常心」の意味は「普段の心が悟りである」という意味だそうで、つまり「あるがまま」の心だそうです。
「あるがまま」とは楽しい時は楽しい。苦しい時は苦しい。というどのような心の状態も素直に受け入れることが「平常心」なのだと。
ただこの「あるがまま」に「分別=ああだこうだと考える事」が付着すると「妄想」になる。この「妄想」は欲望の根源であり、欲望は次々と発展して尽きることはありません。確かに人類は欲望のおかげで発展と豊かな生活を手に入れましたが、むしろ生活の豊さに追われ欲望の餌食になったとも言え、その結果が環境破壊、格差社会、戦争やテロの拡大に繋がっていると。
ではどうやってこの「道」を断てば良いのか。それは「真実」を知ることだそうです。「真実」を知ることで「心」の実体がわかると書いてあります。
望月先生が私達が学んでいる武道が教える「智」とは、「本質を見極める能力」だと杵淵師範から教わりました。そして「沢山の素晴らしい武道の指導者から学び、真実を極めてください」とも言われました。
今回、3日間の玉心流合気道の合宿では、沢山の指導者から技を教えていただきました。それぞれの先生のご指導法は少し異なっていて、それらを「あるがまま」に受け止めることで、そこから自分で「真実を見極めるという事」を経験させていただきました。
どのような状況でも揺るがない平常心を保ちながら、「あるがまま」を受け入れ、そして「本質(真実)を見極める」という事を大切にしていきます。
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